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文句便所

日々のストレスを世間様に対する文句にして吐き出す下衆なブログです。しかも主観で物事を決め付けるのでタチの悪さは天下一品です。

殺人鬼の作り方

気に入らないことがある。

「いじめられる方もいじめられる方」だとかというやつである。

確かに何らかの原因があるからからかわれるのはわかるが、この論はただの逃げにしか見えないのだ。

 

大体いじめという言葉も気に入らない。
なんだかよくわからないけど、ひどそうな言葉ではあるが逆に行われていることが曇ってしまっているようにも見える。

 

いじめられる人というのは要するにいじめやすい、私はいじめという言葉に納得が言っていないのでバカにされるという言葉に置き換えさせてもらうが、バカにされやすい人ということでもある。

 

そしてバカにされやすいということは、今までもその標的にされ続けてきたという事でもある。
そうなってくると、その人は今まで受けてきた行為に対する感情を常に溜め込んでいる状態になっている。

 

他の所でガス抜きできれば良いのだが、あまりにも追い詰めすぎると逃げ場を無くした負の感情が異常な速度で溜め込まれていく。

 

それがどんな形で爆発するかはわからないが、ロクな結果にならないパターンが多い。

 

実際、多くの連続殺人犯は大抵このパターンか親の虐待、又はこの合わせ技で作られていく。


大げさに思われるかもしれないが、殺戮の側に立つ者の大多数は大きな不満や不信を抱えている者だ。そうでない場合はグレアム・ヤングのように先天的に狂っていたり、大久保清のようにずっと幼稚な精神を持ち続けていたパターンが多い。

 

要するに、バカにされる要素があるからしょうがないといってバカにし易い人をバカにしていくと、いつかその爆発スイッチに触れてしまい連続殺人犯の栄えある被害者第一号になるかもしれんのだ。

 

「じゃあ誰が誰だかわからないようにバカにすれば連続殺人鬼にはならないし殺されないよね!」だとか、「私は加担してないから殺されない!」というわけにもいかない。
相手が誰だかわからなかったり、周りのフォローがないと、周りの全てが敵に見え始めるためだ。

迷惑な話だが、救いが与えられなかったり、対象が特定できなかったりした場合、周囲が信用できなくなるのは当然ではないだろうか?
こうなってくると敵意の対象は目に見えるもの全てになり、暴走して出来上がるのが無差別殺人犯である。

 

無差別殺人犯の肩を持つつもりはないが、彼らの言う「誰でも良かった」というのは本当に誰でも良いのではなく、「敵なら誰でも良い」という事のように思われる。
その敵の数があまりにも多いので結果的に「誰でも良い」になるのだと思う。

 

安易に人をバカにしたり、制裁を私的に加えたりするというのは最悪こういったところに繋がる可能性がある。
確かに楽だしなんとなくスッキリはするが、反省を促すには遠周りがすぎるので効果は望めないだろう。


しょうがないという理由が出てくるならばただの自己満足か、身の回りの不満をスケープゴートにぶつけてるだけで、別に正当性はどこにもないのである。

 

1つ考えて欲しいのは、本当に何の理由も無いのに無視したり、靴を隠したり、「死ねばいいのに」と言う人がいたとしたらあなたはどう思うだろうか?
あなたがどう思うかは私にはわからないので決めつけることはできないが、私は酷い奴だと思うだろう。

 

ところが、別に人を傷つけているわけではないのに、「空気を読まない」「和を乱す」「キモい」といった理由が1つでも加わるだけで上の行為が「しょうがない」「当然の事」に早変わりするのだ。

 

まさに正義の狂気だ。
1つの正当性があるだけで人は100の悪徳が行えるのだ。


「法律には罰がある」
という人も居るだろうが、空気を読まないというのは法律違反として規定されていないし、法律違反になる悪質なものに罰といった強い方法がとられるべきなんじゃないだろうか。

因果応報だとしても、1の悪徳であるならば1の悪徳で応酬すべきだ。

 

正義というのは、何をやっても良い免罪符ではない。
悪の行為を取り除きたければ、相手に納得してもらった上でその行為を止めてもらう等、最初の段階があって然るべきだ。
その努力さえ行われずいきなり罰に移るのは短慮という他無い。

 

そもそも、「悪いから止めろ!」などという説教も気に食わない。
あれだけ子供向けのアニメに出てくるばいきんまんでさえこれで納得したことはない。

 

人間の行為は基本的に正しいとその人が思っているから行われるのだ。
正しいことをいきなり悪いと言われてムッとしない人間のほうが少ない。

 

不良であっても、ワルは「カッコイイ」という正当性があるから悪い事をしているし、
愚連隊のようなろくでなしも「社会は俺たちを受け入れてくれないから」悪いことをする、「俺たちは縛られず自由に生きたいから」悪いことをするといった、極めて自己中心的ではあるが正当性を持っている。

悪いことだという自覚があっても「~だから」という理由がワンクッションがあるからそれができるのだ。
連続殺人鬼や大量殺人鬼であっても「社会に復讐するためだ」といった理由をもって犯行を行う。

 

「しょうがないから」という理由で誰かに石を投げると、「しょうがない」という理由で人が殺され、最悪の場合「しょうがない」という理由で自分にナイフとかが飛んできても「しょうがなく」なってしまうのである。